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ストレスの話

随分と前から言われていることですが、現代は「ストレス」の時代です。生きるか死ぬかの肉体的な事に重きを置く時代ではなくなり、心の生き死ににフォーカスが充てられる時代になりました。

それだけ、豊かになった証拠のようにも思えます。反面、豊かさの格差への反応も過敏になっても来ました。

 

肉体的危機にさらされていた時代、私達は心が気丈でした。

いじめに遭おうが病気になろうが、生きる選択をしていました。

 

現在私が住む町は、300年かけて海を米のなる地に変えました。

大変な苦労を乗り越えた土地です。その原動力は、「生きる」ためだったのです。たわわに実る稲穂を見る度、先代達の苦労が身に染みます。

 

現代、好きな物を食べて、買いたい物が買える豊かな時代になりました。その副作用として、「ストレス」に敏感になった私達がいます。心が病むと人はあっさり死んでしまいます。心が病んでいても自覚がなかったり、死ねない人は人と自分を比べて卑屈になります。

基本ベースに物質的な豊かさが担保されている分、上手くいかない事を人のせいにもします。

そうして身近な周りの人達を巻き込んで、人の時間やお金や心を搾取しようとします。

 

それが「ストレスの原因」となります。

巻き込む方も巻き込まれる周囲も。

 

ストレスとはある意味、贅沢病でもあると思います。


巻き込む人は欲や自己顕示欲が強い。巻き込まれる人は優しさの意味を履き違えているか、人に構える余裕というか、暇なのか、自分の意志がないのでしょう。


少し言葉が過ぎました。あしからず。

 

先日、ある人にこんな事を言われました。

「僕は専門職をしています。ですが、クライアントに要求されるのは、自分の領域ではなく、いつしか得意な専門分野に於いてのなんでも屋のように使われるのです。それが耐えられないのです。」とおっしゃるのです。

 

その言葉を聞いて私が思った事は、


「依頼されるだけでもありがたいことなのに、どうして憂いているのだろう?クライアントは正直で、依頼する人物の能力をよく見定めています。何故ならお金という対価を払うのですから。自分が出来ない事を専門職に依頼するのは当たり前です。自分の理想と現実が乖離しているのは、貴方が自分の理想を妄想しているだけで、実際には、何でも屋さんのレベルでしかクライアントに認められていないのではないか?また、ちゃんと自分の仕事内容を相手に伝えているのでしょうか?若しくは、仕事を自分都合で選んでませんか?」というのが正直な感想でした。

 

鑑定の依頼を受けての話ではなかったので、適当にお茶を濁して話題を変えたのですが、その人のオフィスを一度拝見した事があるのですが、デスク周りはごちゃごちゃしているし、オフィスとして使っている仕事部屋は(接客の部屋でもあります)ゴミはゴミ箱に貯まったまま。余り掃除をされてないようでした。


与えられた仕事はキチンとされているようですが、残念なことにお客様が喜んで貰える新たな提案やプラスアルファには欠けているのかもしれないと、その部屋を拝見して思いました。

 

私も掃除が苦手です。ですが、自分が使うデスク周り、お客様がいらっしゃる部屋は出来るだけ清潔感を保つよう心を砕いています。誰の指示でもありません。

 

たまに、誰もしようとしないゴミ掃除やトイレ掃除、汚い汚れ仕事ばかりをしていると、「自分ってそんなちっぽけな存在なのかな?」と思う事があります。

何もしないで人にやってもらう状態を当たり前としているスタッフがいると余計にモヤっとした気持ちが沸いてきます。

ストレスを抱え込んでしまうのです。

 

そんなある日、とある経営者の人から素敵な話を聞かせて頂きました。

 

「どんな小さな事でも頼られる人になってごらん。信頼されているから頼られるんですよ。そしてどんな些細な用事でも、やっているとスキルが上がる。スキルが上がると全体がこなせるようになる。

頼みやすい人というのは、良い気を放っている。良い気を放って明るくどんな仕事でもこなしている貴方を、先見の明のある経営者なら、絶対に離さない。社内を明るく元気にする人がいると、全体の生産性が上がるからです。もちろん、仕事に関する事に限定されますけど。家庭の用事や悩み事まで持ち込んでくるような経営者やスタッフは公私混同してるのでそんな会社にいる必要はない。逆に物を頼むと気持ちよく引き受けてくれないような人物なら、限られた仕事しか与えられないし、特殊なスキルを持っていたとしても、技術というのは時代と共に淘汰されていく物だから、使えなくなると干される。第一、毎日嫌々暗く被害者ぶった顔をされて仕事をされているとその悪い気が職場全体に蔓延して全体の志気が下がって生産性が落ちる。そういう人は使うべきではない。」

 

というお話でした。

 

嫌な仕事や職場・家庭に対してストレスを抱くのは、一体誰のせいでしょう?他ならぬ自分自身です。

 

神社やお寺では、先ず掃除に始まり掃除に終わります。

修行の一環なので、皆がします。

「なんでこんな仕事を私がしなくちゃいけないの?」という不平不満は生まれません。何故ならそこは皆が集う場所であるし、仏や神様の御社だからです。自分一人だけの場所ではありません。彼らはたとえ不平不満を抱かえたとしても、その答えをお勤めの中に見出します。それが修行であり、自己修練だからです。

 

自分の心根が前向きに変わると、見えてくる世界が変わります。

そこにはストレスは存在しません。

気持ちよさしかないのです。

 

大人は皆小人を経験してなるのです。また、大人は小さな仕事に気づいたら率先して自らもします。それが無理なく出来るのです。

小人の時代に経験した小さな仕事が、大きな仕事を呼び込みます。

小さな仕事を疎かにするような人に大きな仕事は任せられないのです。その事を大人はよく心得ています。また、人を見る目も養えます。年齢やジェンダーに関係なく、伸び代のある人、そうでない人が分かってくるのです。

 

ストレスを感じた時、気持ちよさに変化させる工夫をしましょう。

目の前のややこしい仕事に感動を与えるのは自分自身です。

 

人は変えられません。変わらない人に成長はありません。

 

なので、人と比べる事を辞めましょう。心地よい状態で仕事と向き合えるように自分を変えてみましょう。

常に感動できる自分でいましょう。

 

そうすると、ストレスなどというのは、人間が生み出した怪物だと気づけるはずです。

 

最後までお読み下りありがとうございました。